国際博覧会
日本が初めて参加したのは幕末の1867年、幕府および薩摩藩と佐賀藩がパリ万国博覧会(第2回)であり、維新後の新政府は1873年のウィーン万国博覧会から公式参加を行った。明治・大正頃の博覧会では日本の芸妓が接待役を務め、この時紹介された浮世絵はモネらフランスの画壇に影響を与えたことは広く知られている。これらが「ジャポニズム」と呼ばれたものである。日本の展示館は、シカゴ万国博覧会では平等院風のもの(フランク・ロイド・ライトに影響を与えたという説もある)や1900年のパリ万国博覧会(第5回)では法隆寺風のものなど、伝統的様式で建設され、エキゾチックな印象を与えて好評を博したという。また大橋翠石が出品した猛虎の図の絵画は毛並みのリアルさなど東洋的芸術が評価され、優勝金牌を受賞した。しかし、1900年のパリ万国博覧会(第5回)では日本の出品物は酷評されてしまい、明治政府は輸出振興のためにデザインの必要性を認識し『図案』(雑誌)を発行するなど、日本の芸術や産業にも大きなインパクトを与えた。
1928年には国際博覧会条約を締結し、博覧会国際事務局(BIE)が設置された。
日本での国際博覧会開催については1890年に最初の計画があったが、時期尚早ということになり取り止めになった。次いで、1940年に東京の月島(晴海)などを会場に紀元2600年記念日本万国博覧会および東京オリンピックを開催すべく準備が進められた。前売り券(10円)も販売され、勝鬨橋は整備の一環で造られた。日中戦争が激化したため、軍部の反対および参加国の減少が確実になったことなどで1938年に中止が決定した。
中止になった紀元2600年記念日本万国博覧会の前売り券は1970年の日本万国博覧会および2005年の2005年日本国際博覧会で使用可能であった。ちなみに日本万国博覧会では約3000枚、2005年日本国際博覧会では約90枚使われたという。
日本およびアジアでの開催は1970年に大阪で開かれた日本万国博覧会(大阪万博)が最初である。大阪万博では巨大なインフラ整備が行われ、会場跡地は万博記念公園や大阪大学の一部などになっている。なお、大阪万博が日本で開催された唯一の一般博で、他は1972年の条約による特別博か1988年の条約による登録博である。

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